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百萬遍念珠くり
遠い昔、大きな数珠をみんなで輪になってグルグルと順送りに回したことがあった。 はたしてそれが夢の中の出来事だったのか、現実だったのかすら定かではないほどの、おぼろげな記憶だ。 あまりにむかし過ぎて、そんな記憶があったことすら忘れていたが、それがなんだったのかがこの度、明らかになった。
浄土宗の行事で『百萬遍(ひゃくまんべん)念珠くり』と言うのだそうだ。

その名の由来は、疫病が流行した際(何かと言うとこのパターン)、京都・知恩寺の住職が後醍醐天皇の命を受け、念仏を百萬遍唱えてそれを鎮めたことで『百萬遍』の号を賜わり、百萬遍知恩寺となったことからきているらしい。 その時のご褒美が掛け軸と念珠だったことから、法要の時には掛け軸を掛け、数珠をくる習慣ができたのだという。
うちの実家の地域では、四十九日の前の日に、この念珠くりをやることに決まっている。だから、正確には四十九日の法要は二日間あることになる。

百萬遍念珠くり_f0046622_1585789.jpgこのたび、お寺から四十九日の法要用に借りた掛け軸と数珠も、 本家本元の大きさにはかなわないが、それでもじゅうぶんにでかい。そのでかい数珠を持ち、ふた間続きの六畳部屋いっぱいに輪(四角?)になって、お骨を中心に、もうもうとした煙のなか、お経と唱えながら延々と(1時間以上)それを回し続けるのだ。子供の時の記憶なら、それが夢か現実かがあやふやでも無理はないだろう。
京都、もしくは関西在住で、ニュースなどで見慣れている人にとってはさほど珍しいことではないのかも知れないが、数十年ぶりに見たわたしにとっては、最近まれに見る奇妙な風景だった。

今の時代、四十九日の法要じたい大変だというのに、そのまた前の日の昼ひなかに三十何人の人が集まってお経やご詠歌を唱えるのだ。それが出来る人がこの先増えるとはとうてい思えない。その前に、まず人が集まらなくなるだろう。なぜ集まらなくてはいけないのか?そう考え出すと、グウの音も出ないからだ。

喜々としてお経やご詠歌を唱える老人たちは、たぶんそれらの意味を理解できていはいまい。ご詠歌の途中にお線香をつけたり、水を替えたりするタイミングを指示してくれる長老も、なぜそのタイミングで、それをするのかをわかっているわけではない。わからないけども、彼らはする。なぜなら、「そういうもの」だからだ。

なぜそれをするのか?
世の中にはつきつめていいものと、悪いものがあるような気がする.
by adukot_u3 | 2007-01-25 02:00 | 散歩・旅行
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