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最後の大仕事
父が亡くなった。
父との付き合いは、わたしが小学校に入った頃からだから、思えば長くなったものだ。しかし、実質は延べ3年ほど。遠洋漁業船に乗っていた父は、一年の大半を留守にしていたし、船を降りる頃には、わたしが家を離れてしまっていた。
そうこうしているうちにあっと言う間に月日は流れ、父は寝たきりとなった。
最後に話したのはいつだったか・・・それすら思い出せない。

田舎の本家に来た養女が、家を継がないということがどういうことなのか、わたしが家を出てからの言われようを見ればわかる。由緒があるわけでも、お屋敷なわけでもないのに、そんなカビの生えたような家制度に縛られるのはまっぴらゴメンだと思っていたわたしだが、父が亡くなった今、結局、事実上の喪主を務めるのはわたししかいないのだった。
とりあえずは本家として恥ずかしくないような葬式をしなくては・・・本家とか跡継ぎとかいうことを嫌って家を出たはずのわたしがまず考えたのは、皮肉にもそんなことだった。

田舎の葬式は長い。
お通夜の前日に、町内の老人たち(おばあちゃん)が家に集まり、延々とご詠歌を歌うというオマケがついている。それに、途中で友引が入ったせいで更に長くなった。ご詠歌は、言うなれば全国のバーチャル寺巡り。
「武蔵の国 ナントカ寺~」などと、宣言したあとに詠歌を詠う。ひとつ歌うごとに線香を立て、コップに注いだ水を桶に捨てて、また新たに水を注ぐ。延々とこの繰り返し。長老の側で、言われるがままに線香をつけ、お水を入れたり流したりするわたし。三十三本のお線香が立ち、家中がもうもうとした煙につつまれる。
歌と煙で痛くなったノドのために、途中で砂糖湯を飲むことも初めて知った。



お棺に入れる冥加(みょうが)という儀式の際には、お坊さんがお経を読むかたわらで、親族がひとりづつ、顔やら手やら足やらを脱脂綿で拭きまくる。
「うわぁ~、こんなにたくさんの人に間近でじろじろ見られた上に、ギューギュー拭かれちゃったり撫で回されたりして…嫌だなぁ~」わたしはひとりぼんやりとそんなことを考えていた。

その次の日からが大変だった。
葬儀屋、町内会長さんとの打ち合わせ、花屋、スーパー、菓子屋への手配、確認、追加。家に泊まる親戚と自分たちのために、まかないの人も頼んだ。零細ながらも商売をしている関係で、今後のお付き合いのことも考えて、あっちのお店、こっちのお店と、まんべんなくいろんなところから買い物をしなくてはならないのだ。たいした数ではないが、同じものをいろんなところからちょっとづつ買ったりするのは、本当に煩雑だ。

なんとかお通夜に漕ぎつけたころにはもはや寝不足で少々ぐったりしていた。
お線香を絶やさないために、毛布で仮眠しながら親戚が交代で見ていてくれるのは大変ありがたいのだが、入れ替わる親戚と違って、わたしたちはレギュラーだ。
そんな中でわたしだけが布団で寝るわけにはいかず、結局、一週間ずっとコタツ脇での仮眠状態だった。
お通夜もお葬式も、その前には準備、終われば後処理と、やることが山積みで、やっとひと心地がついたのは、次の日。無いところをやり繰りして、支払いを終えたころだった。

嵐のような慌しさだったが、とてもいい経験をさせてもらったと思う。
父が臥せってからここ数年、何かにつけて父の代わりに表に出ることが多く、人前に出るのが苦手だったわたしでも、何とか人並みに喪主あいさつとやらができるようになった。ずいぶんとご無沙汰していたイトコ連中(私以外は全員男なのだ)とも久々にいろんな話ができたし、なじみのない親戚たちの中に、ちらほら見えた同級生の顔は、ともすればプレッシャーで押しつぶされそうなわたしを支えてくれた。
もしかしたら、これが父の最後の置き土産だったのかも知れない。

だからと言って、自分もそういう葬式をやりたくなったかと言うと、それとこれとは全く別もので、わたしは相変わらず散骨希望だ。むしろ、その思いが更に強まった感じだ。お棺の小さな扉を開けたり閉めたり…イケてない死に化粧の顔をじろじろ見られた日にゃ、落ち着かないったらありゃしない。
最後にヘンテコリンな顔を憶えていられるよりも、「バカなことよく言ってたね~」とか「ヘンな人だったね~」とか言って笑ってもらいたい。果たしてそうなるかはわからないけど。

一連の慌しさを終えて、親戚みんなでお茶を飲みながら香典帳をながめていた時のこと。
「"橋本○○子"って誰?」とおばさんが言った。
一同「・・・・・」
さて、それからあの人だのこの人だのと、葬式の後とは思えない異常な盛り上がりを見せた。さんざん悩んだあげく、まとまったみんなの意見は、「隠し子」だった。
生前父は、「港々に女がいて、第二の故郷、釧路には娘もいる」とよく言っていたからだ。それがホントか嘘かは知らないが、死んでなお、みんなにそんなことを言われるとは・・・。三途の川の向こう岸で、満足げな父の顔が見えるようだ。
by adukot_u3 | 2006-12-25 14:19 | 能登半島
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