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転職
自分で自分を管理する仕事から一転して、管理される側に居を移し、日常を過ごしているうちに、ほとんど記憶の彼方に埋もれていた人のことを思い出すようになって自分でもビックリしている。

それは27年前、飲んだくれて45歳で亡くなった伯父のことだ。
伯父は山野愛子美容学校の男性第一期生。家業が美容院だったとは言え、今とは違って男性が女性の髪を触ることを職業にするなんて考えられない時代だ。それも東京ならまだしも、住んでいたのは、能登半島の突端。伯父には先見の明があったのか・・・。

叔父は、昼間は保険会社に籍を置きながら、夜は昔からやっていたバンドの腕を生かしてキャバレーでピアノを弾いていた(ちゃんと習ったこともないのに、どういうわけか弾けた)。そして帰ってくるのは明け方。車は当時の高級車だった「クラウン」。お金がなくなると、こっそりとお店に入ってきて、レジからお札を数枚抜いたりしていた。もう、どこから見ても立派な「髪結いの亭主」だった。



当時、子供のくせに女性週刊誌を読むことが好きだったわたしは、お店のレジの台の陰でよく宿題をしていた。なんのことはない実は、読んではダメだと言われていた週刊誌を片っ端から読んでいたのだが、伯父はそのタイミングを見計らって、こっそりとお金をくすねに来るのだ。
わたしは、宿題もせずに週刊誌ばっかり読んでいる自分を棚に上げ、「ばあちゃんやおばちゃん、お母ちゃんは立ちっぱなしであんなに働いてるのに・・・おじちゃんもちゃんと働けばいいのに…なんか寅さんみたいで嫌だなぁ」と、寅さん映画を見たこともないのにそう思っていた。
今から考えると、なんだかんだ言いつつも、みんながそれでよしとしていたので、子供のわたしがとやかく言う筋合いのものでもなかったとは思うのだが、その時は、そういうふうにしか思えなかった。

ところが・・・
新しい仕事に就いてからというもの、この伯父のことを思い出すことが多くなった。わたしもあんなふうに出来たらいいなぁ~と思うのだ。そこそこ会社の仕事をして、夜は好きなピアノを弾く。もう、天国のような生活だ。
そういえば、伯父が通っていたキャバレーは「天国」という名前だった。だから「天国」に行ったのかも。

でも、そういう伯父を羨ましいと思う反面、わたしにはできないことはわかっている。それをして許される人と、そうでない人がいるし、実際そんな生活を、果たしてわたしが楽しいと思うかどうか・・・疑問だ。
とは言え、伯父が出てきたと言うことは、何か言いたいことがあったのか?
きゅうきゅうとしているわたしに、「たまには飲んだくれろ」とでも言いに来たのだろうか。
by adukot_u3 | 2006-11-23 02:01 | 日々雑感
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