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歌好き地図好き散歩好き。おまけに路地好き文具好き。最近はウクレレLOVE!モットーは『自分で調べて自分で考えて、なるべく自分の事は自分でやる』。さそり座、黒ひょう、AB型女。
by maccheroni
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いじめについて思う
去年、いじめで自殺した北海道滝川市内の小学校の女の子の遺書が見つかったらしい。
わたしには、「いじめ」と言う言葉を聞くと、胸の痛みとともに思い出す、ある同級生(女子)がいる。

小学校の4年生ごろから始まったMちゃんに対するいじめは、それはそれはひどいものだった。
シカトなどという生半可なものではない。
汚い、臭い、近寄るとうつる。
口を開こうものなら、一部の男子に机を蹴飛ばされ、横倒しになった机から飛び出た教科書やノートが散乱する。
ひとり黙々と教科書を拾う彼女。手伝うものは誰もいない。
一緒にされるのが怖いからだ。

そのせいもあってか、彼女は学力も極端に低く、小学5年の時に2桁の足し算をやっていた。
それがまた格好のネタになって、いじめに拍車をかけていたような気もした。
授業時間、休み時間、給食時間、登下校…学校にいる間じゅう、いつも彼女はひとりだった。
シカトというのは、シカトと言いつつも、シカトしているということを、本人にわからせようとするだけ、まだ存在への意識があるような気がするが、彼女の場合は、シカトを通り越して、もはや「居ないもの」として扱われているような、そんな感じだった。

あるとき、授業でとある人の作文が読まれた。
書いたのは、Mちゃんの2つ上のお姉さんだった。
「街を歩いていても、何をしていても、Mの姉という囁きが聞こえてくる。わたしは妹が憎い。いっそ妹がいなくなってくれたら…」
そんな内容だったと思う。
その壮絶な内容に愕然とした。
そしてそれは、全クラスで読まれたらしいことを後で聞いた。
Mちゃんへのいじめは、もう学校問題にまでなっていたのだ。

TVドラマならここで、みんなが反省したり、誰か手を差しのべる人が出てきたりするのだろうが、現実は厳しかった。
お姉さんの、ある意味捨て身の叫びは全く届かず、いじめは一層ひどくなっていったのだ。
担任の先生が、必死になっていろいろやってはいたが、それをくい止めるには至らなかった。

いっとき、たまたま彼女と同じ班で、わたしが班長という時期があった。
当然、彼女のせいでウチは班単位でやるべきことが悉く遅くなり、わたしは内心イライラすることが多かった。
それでもはじめのうちは色々手伝ったりもしていたが、そのうちただ見てるだけということが多くなった。
面倒くさかったからではない、彼女に近づくことで私に向けられる周りの目が怖かったのだ。
わたしもおなじようにいじめられてしまうのではないか?その思いだけで、わたしは彼女から距離を置くようになってしまった。
班長なのに…。

あるとき、先生との雑談の途中でふと、
「○○さんなら、なんとかしてくれるかと思ったけど…やっぱり荷が重すぎたね」
と言われた。
ガーーン!顔から火が出るというのは、こういうことかと思った。
あまりの恥ずかしさに即座にその場から立ち去りたい気分だった。
先生は、多少の期待を込めてわたしを班長にしたのだ。
それなのに、こんな周りの目ばかり気にするろくでもない人間を選んでしまって、めがね違いだったと、さぞやガッカリされたことだろう。
わたしが最初に、「胸の痛みとともに思い出す」と書いたのは、そういうことだ。

いじめは相変わらす続いていたが、彼女はあんまり学校を休まなかった。
間近でMちゃんを見ながら、「わたしだったら学校に来ないか、もしかしたら死んじゃうかもなぁ」と思った。
いじめをただ傍観することしか出来なかったわたしには、それが不思議でならなかった。

彼女をそういうふうにしか見れなかったわたしは、やはり浅はかだった。
中学を出てしばらくして彼女は、とある病院の精神科に入院した。
家でもあまり話しをしないから、家族も病んだことすらわからなかったらしい。
わたしが、学校に来れるのを不思議だと思った時点で、彼女はもうすでに病んでいたのかも知れない。
あんないじめを受けたら、誰だって普通じゃいられない。
今なら簡単にわかることなのに、どうしてあのときはそれがわからなかったんだろう。
いや、薄々わかってはいたものの、それを直視すると自分がしていることの卑劣さに気付いてしまうので、あえて気付かないふりをしていたんだと思う。

いじめはないに越したことはない。
でもなくならないと思う。
なんとなく、人間には大なり小なり誰もが持っているもののような気がするから。
と、インターナショナルスクールに通っていた帰国子女に言ったところ、それは日本人的気質が悪い方に出た例で、いろんな人がいるインターナショナルスクールでは、それほどひどいいじめはないと言っていた。

なるほど異質なものを貶めたり排除しようとするのがいじめだとすれば、人種や国籍がバラバラで、みんなが異質とも言えるインターナショナルスクールでは、そうなのかも知れない。
とすると、裏を返せば、日本のような単一民族・言語が集まった国では、永遠になくならないということになる。
・・・私の中では未だに答えが出ない。

今年のお正月、同窓会があった。
当然Mちゃんはそこにはいなかったし、話にすらのぼらなかった。
今後来ることもないだろう。
わたしたちの学年の中で、Mちゃんはもう「居ないもの」なんだろうか?
そう思って、田舎の友達に消息を聞いてみたが、わからなかった。
by adukot_u3 | 2006-10-03 01:56 | 政経・社会
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