TV『プラハ 4つの国の同級生』

元ロシア語通訳者で作家の米原万里さんが、少し前に亡くなった。
「死を座して待つほどには達観していないので、あらゆる治療法を試している」と書かれた週刊誌の連載を見たのは、ついこないだだった。作家に軸足を移されて、さぁこれからは油の乗った米原さんの作品がたくさん読めるなぁと楽しみにしていた矢先だったのに。

昨日、NHK-BS2でやっていた追悼放送を観た。
1996年に放送された、世界・わが心の旅「プラハ 4つの国の同級生」という番組の再放送で、革命の混乱で行方のわからなくなった、プラハのソビエト学校時代の同級生を探しに行くというものだ。
その顛末は後々「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」という本にも書かれている。

米原さんは、共産党の幹部だったお父さんの赴任に伴って、当時のチェコスロバキアへ渡り、プラハのソビエト学校で50ヶ国からの生徒に囲まれて学んでいたという変わった経歴の持ち主だ。

その番組を偶然観ていた10年前のわたしは、冷戦下の時代に父親の仕事の関係とはいえ、チェコスロバキアの、そんな環境のなかで暮らしていた人がいたということにとても驚いた。
保育園から高校まで同級生がほとんど同じという田舎で、何を考えるでもなくただ「ポヨヨ〜ン」と幼少期を過ごして来たわたしにとって、日本人の小学生が、世界情勢、政治体制、人種…そんな単語を日常的に意識せざるを得ない状況にいたという事実は、信じられないことだったのだ。

米原さんは、少ない手がかりを頼りに、音信不通になっていた仲良しの3人を訪ね歩くが、番組の最後、1968年の「プラハの春」で市民が蜂起したバーツラフ広場での再会は、ヨーロッパ激動の時代を生き抜いた彼女たちにしか絶対にわからない、非常に重みのあるものだった。

当時、彼女たちが置かれていた特異な境遇は、彼女たちに普通のひと以上に過酷な運命を強いたかも知れない。
しかしまた、それによって育まれたとも言える、人種、国籍、境遇、時間、距離、それらすべてを超えた彼女たちの強い絆を、わたしは心底羨ましく思った。
それなのに、まさかその10年後に、訪ねた本人が亡くなってしまうとは・・・。

1994年、わたしが初めてひとり旅で訪れた冬のプラハは、厳かで美しい街だった。
プラハ城を背に、にこやかにインタビューに答える米原さん。この聡明で豪快で繊細でチャーミングな人はもういないのか・・・そう思うと、立原摂子さんのテーマ曲がいっそう胸に迫ってくる。

そのうち消されると思うけど・・・

世界・わが心の旅『プラハ 4つの国の同級生 米原万里 (1)

世界・わが心の旅『プラハ 4つの国の同級生 米原万里 (2)

世界・わが心の旅『プラハ 4つの国の同級生 米原万里 (3)
[PR]
by adukot_u3 | 2006-06-14 15:13 | TV・音楽

歌好き地図好き散歩好き。モットーは『自分で調べて自分で考えて、なるべく自分の事は自分でやる』。さそり座、黒ひょう、AB型女。


by maccheroni
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31