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『パリ20区、僕たちのクラス』
パリ20区、僕たちのクラスの写真『パリ20区、僕たちのクラス』
この映画は、オーディションで選んだ素人を生徒に見たて、パリでも移民の多い地区にある中学校の、とあるクラスの日常を淡々と描いたものだ。
ちょっとした諍いが起こる以外はたいした出来事もなく、ドラマや映画にありがちな、何か教訓めいた結末があるわけでもなく、ただただ全く普通のフランスの学校生活を見ているような感じ。
見る人によっては信じられないほど退屈な映画かも知れないが、本当の日常にはそんなに事件なんて起こらないものだ。厳密にはドキュメンタリーではないが、かなりそれに近い感じになっている。

退屈と言っても、静かなわけじゃなく、最初から最後まで、教師と生徒の会話の応酬がすごい。
日本人の感覚から言うと、早い話、やたら文句が多くてうるさいのだ。
音読するよう指名されたことに対して、「今それをする必要があるのか」とか「そういう気分じゃない」だとか、とにかく理屈っぽくて、「講釈はいいから早く読め」とツッコミたくなるほどだ。

授業とは、静かに聞き、考えながら板書するのが当たり前で、答えがわかってはいても、滅多に手など上げたことがない私には、この授業はかなりのカルチャーショックだった。
でも、欧米ではこういう対話形式の授業が多いらしいので、そんなことでカルチャーショックを受けるわたしの視野の方が狭すぎなんだろうけど。

もし私が中学生のころフランスに移住することがあったとして、こんなクラスに入れられたら、かなりの確率でストレス障害になるだろう。
もう絶対にムリムリ。
そう思いながらずーっと眺めていたが、途中で教頭先生と一緒に転校生が入って来るシーンで、ぶっとんだ。
教頭先生は「転校生に挨拶をしなさい。しかしこれは礼儀であって服従ではありません」と言ったのだ。
はぁ~っ、私は今の今まで、転校生にする挨拶の意味を考えたことなんて一度もなかったなぁ。

なるほど、たしかに転校生に対する挨拶は、先生に言われたからする場合と、自発的に礼儀としてする場合がある。それを教頭先生がわざわざ言うということは、生徒達にとっては、常日ごろから、自分の行動が自発的なものかそうでないか、自分の意思というものを意識するのがきっとごく自然なことなのだろう。

もっと驚いたのは、先生たちが生徒を採点する成績会議に生徒の代表が2人出席していたこと。それも、私が想像するような、緊張したりかしこまったりなんてみじんもなく、ちょっと行儀悪いくらい。
生徒達にとっては、その会議に自分たちが出席することは当然の権利であり、どんな態度でそれに臨もうが、自分たちの自由じゃん?という感覚のようだ。
内申書の内容を知らされないことに、理不尽だとは思いつつもそういうものだと思って受け入れてきた私からしたら、考えられない人権意識の高さだ。
こういうものを観ると、日本の民主主義ってほんとに民主主義なのかな?とあらためて考えさせられる。

でも、こういう人が日本の学校や会社に入って来たら、かなり面倒くさいことになるのは確かだ。
帰国子女は何かとやりづらいという話を良く聞くし、私自身も多少はそういう経験がある。
そのときは意思の疎通が図れないことにイライラしていたが、彼らがなぜそうだったのか、どうしたら良かったのかが、この映画を観て良く解った。

うるさくて行儀悪い授業は苦手だが、社会的には、波風立てないように取り繕った挙句に破けてしまうよりは、文句を言い合った方がはるかに風通しが良く建設的だ。
いきなりは無理だけど、この授業のやり方は、意外とわたしに合ってるのかも知れないと思った。

今、日本では54、フランスでは59の原発が稼動している。
両方とも同じようにたくさん抱えているのに、フランスは今回、事故後1週間もしないうちに特別機を飛ばし、どこより早く在日仏人を連れ帰った後、原子力のエキスパートによる支援を行うことを表明した。

日本は、避難区域を除々に広げて行くという方法で住民を不安にさせた上に、初期の段階での各国の原発への支援も断った。そして自力での収束を断念して遅かりしSOS・・・。どういう事情があるのか知らないが、どう考えても順番がおかしいだろう。

日本人にはフランス人にはない忍耐強さがある。でも今回は、被災された方々のその忍耐強さに、いろんな理不尽が覆いかぶさってしまっている。
ほんとうは忍耐強くなんかない。忍耐するしかないだけなのだ。
そこに猛烈に腹が立つ。
by adukot_u3 | 2011-04-02 07:27 | 映画
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