歌好き地図好き散歩好き。モットーは『自分で調べて自分で考えて、なるべく自分の事は自分でやる』。さそり座、黒ひょう、AB型女。
by tambow
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カテゴリ:書籍( 20 )
角田光代『いつも旅のなか』
角田光代著『いつも旅のなか』。
もー、これ読んだらぜーったいに旅に出たくなる。
タイトルはもとより、「仕事も名前も年齢も、なんにも持っていない自分に会いにゆく」というキャッチコピーも、わたしには超ストライクゾーンだ。

『対岸の彼女』を読んだ時から思っていたが、角田さんの文章は気取らずとても読みやすい。でもそうやって油断してると急に出てくる非常に鋭い表現にびっくりさせられたりする。作家だから当たり前か。
この本も、当然楽しいことばっかり書いてあるわけじゃなく、むしろトラブルの方が多かったりする。
でも、それを読んでると無性に旅に出たくなるんだから、いかに角田さんの文章が魅力的かということだ。

あー、そうだったそうだった。
旅の醍醐味ってこうだった。
そう思わせてくれるエピソードが満載だ。
かつて中学1年の美術の時間に作った絵皿に、「旅」という文字を彫刻刀で彫ったわたしとしては、『いつも旅のなか』なんていうタイトルを見せられて、読まないでいられるわけがない。

「仕事も名前も年齢も、なんにも持っていない自分に会いにゆく」なんて、なんて素敵なんだろう。
わたしがひとりで海外に行ってみたのも、そういったいわゆる属性から解き放たれたいという深層心理がきっと、どっかにあったに違いない。
日本というひとつの国にどっぷりと漬かってしまって見えなくなった、素の自分に会いたかったのかも知れない。

本の中には、モロッコ、ロシア、オーストラリア、タイ、上海、韓国…など、角田さんが行ったいろんな国のエピソードが書かれている。
すごい。行きまくってる。
その中で、印象に残ったのが、キューバ。
町のダンスショーで、ふつうの人々と同じような席に座っていた初老の婦人が乞われて踊り出し、なにかと思って見ていると、そのダンスが息をのむほど美しい…。
実は彼女は国民的ダンサーだったのだが、そんなところに上りつめた人がフツーの人とおんなじ席に座ってることが、わたしには超カッコよく映る。
特別な才能があったり、お金持ちだったりする人が、特別な生活をするのは自由だけど、そういうのがわたしにはなんだかダサく、逆にビンボーくさく思えるのだ。
まぁ、ひがみややっかみかも知れないけど。

角田さんは、
「何を成していようがいまいが、わたしたちは日常を生きるごくありきたりなひとりである。平等──この国に染み渡ったその大前提こそ、キューバという社会主義国の完璧な理想が生み出した、もっとも美しい何かなのではないか」
と書いている。

平等なんてありっこない。
サザンが「ピースとハイライト」で歌ってるように、絵空事やお伽噺かも知れない。
でも、だからこそ美しいんだろうと思う。

今は昔のように気軽に旅はできないが、わたしも心は「いつも旅のなか」にあるつもり。
これからも、ひとところにどっかと腰を下ろすことなく、不思議なものや変わったもの、面白いものにいつもきょろきょろするような落ち着きのない人でいたい。
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by adukot_u3 | 2013-09-05 23:50 | 書籍
村上龍『だまされないために、わたしは経済を学んだ』
作家の村上龍氏が発行しているJMM(Japan Mail Media)という「日本経済の回復」をメインテーマとするメールマガジンがある。
村上氏の質問に対して金融や経済の専門家が答えるという形式で、今の時流に逆行する長々とした文章だけのメルマガだ。
この本は、そのメルマガの最後に添えられた村上氏のエッセイをまとめたもの。
JMMは前から読んでいたが、引越しのどさくさで配信を中断していたのをこのたび再開したところ、たまたま図書館でこの本をみつけたので読んでみた。

村上氏は、いわゆる普通の大人といわれる人たちが、知識がなくて知らないか、はたまた知ってはいてもそれは言わずもがなと口をつぐむようなことを、ハッキリと「そうだ」と言うところがいい。
口をつぐむ人ばっかりだと、わたしは間違ってるのかと、大海にひとり漂流しているかのような心持ちになる。
村上氏の本は、そんなところに流れてきた丸太のごとくありがたい。

昔々、福沢諭吉も言っていた。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。
とは言うものの、実際は勉強しないとビンボーになるよ」と。
経済を知らないと、やっぱりだまされるのだ。
できれば私だってだまされたくなんかないが、たぶんだまされるだろう。
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by adukot_u3 | 2013-09-05 23:48 | 書籍
川上弘美『センセイの鞄』
遅ればせながら『センセイの鞄』を読んだ。
2001年度谷崎潤一郎賞受賞作品だそうだ。

37歳の独女ツキコと、老境にある元教師との恋愛物語。
いかにも谷崎潤一郎賞っぽい。
センセイがお堅いのと、ツキコも一風変わってるのとで、ふたりの仲はもどかしいほどに進展しない。
美しい恋愛話として人気らしいが、どうもわたしには合わなかった。
いいとは思うけれど、好きじゃない。
誰が見てもイケメンなんだろうが、イマイチ好きじゃない。
そんな感じ。

でも、
「ワタクシと、恋愛を前提としたおつきあいをして、いただけますでしょうか」
とか、
「長年、ご婦人と実際にはいたしませんでしたので」
とか、
「できるかどうか、ワタクシには自信がない。自信がないときに行ってみて、もしできなければ、ワタクシはますます自信を失うことでしょう。それが恐ろしくて、こころみることもできない。 まことにあいすまないことです」
などのセリフは、ちょっとグッと来なくもない。

で、「小学校のころわたしはずいぶん大人だった。
けれど中学 高校と時間が進むにつれてはんたいに大人でなくなっていった。
さらに時間がたつとすっかり子供じみた人間になってしまった」
に至っては、わたしのことかと思った。

所々なるほどと思うところもあったが、全体的にはやはりそんなに好みではない。
最後はセンセイが亡くなって、遺品として遺族からもらったセンセイの鞄を開ける場面でThe endとなるが、そこがしめっぽくないところはいい。

映画版『センセイの鞄』というのがあって、そっちではツキコが号泣して終わるらしい。
悲しいのはわかるけど、そんな当たり前なエンディングにしてどうするよ。
それまでのツキコとセンセイのやりとりがあまりにももどかしくて物足りな過ぎたから、見てる人に「あぁやっぱり好きだったのね」と納得させなくちゃと入れた、黄門様の印籠サービスもどきとしか思えない。
泣くよりも泣かない方が悲しいと感じることもあるのに。
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by adukot_u3 | 2013-08-28 22:27 | 書籍
書籍・角田光代『対岸の彼女』
実家に戻る前夜、ブックオフで角田光代さんの『対岸の彼女』を買った。
田舎に帰ったらのんびり読もうと思っていたら、実際は東京にいたときよりなんだか慌しくて、寝る前に読み出して5分もしないうちに寝てしまうという繰り返しで、仕事で読まなきゃいけない本の合間に読んでいたせいもあって、全部読むのになんと2ヶ月もかかってしまった。
でも、途中からはハマってしまって、寝る時間を削って読んでいた。
そのぐらい久々に面白い小説だった。
あとで、直木賞受賞作と知って、なるほどと思った。

専業主婦と未婚の女社長の友情の物語・・・と言ってしまうとなんだか陳腐な感じがするが、早く言えばそういうハナシ。
日本の思春期の女子は、何かと連れ立って歩くいわゆる「連れション的発想」が服を着ているようなものだが、意地悪な見方をすれば、孤独に対峙することを極端に恐れる日本の女性の未熟さを露にしているとも言える。
なーんて言ってるわたしも高校生の時には、孤立することを何よりも恐れているにも関わらず、そんなのぜーんぜん怖くなんてないぜ!と誰も見ちゃいないのにアピールするような、そんな持って回ったような面倒くさい子供だった。
この小説は、そんな日本人の思春期特有の面倒くささを丁寧に描いていて、とても共感した。
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by adukot_u3 | 2013-07-03 22:17 | 書籍
『日本が自滅する日―「官制経済体制」が国民のお金を食い尽くす! 』/石井紘基

日本は戦後ずっと、経済を第一に成長してきた。
生きて行くことが綺麗ごとでは済まないように、日本という国をなるべく早く戦後から復興させるためには仕方なかったのかなぁと政治に疎いわたしは思っていた。
しかし、そんな美味しいとこ取りな生き方には、やはり大きな落とし穴があった。

かつて民主党に石井紘基(いしい・こうき)という国会議員がいた。
崩壊前のモスクワ国立大学に留学していた彼は、そのときすでにソ連が崩壊することを感じ取っていたという。
その後、日本で政治家として活動し始め、日本の構造が崩壊前のソ連とそっくりなことに危機感を感じるようになる。

国の予算には「一般会計」と「特別会計」がある。
メディアでは「一般会計」のことしか言わないが、それは建前上の予算であって、実は「一般会計」の4倍にもなる「特別会計」が国会を素通りしている。
この「特別会計」を通じて、官僚の天下り先として作られた特殊法人や数千にも及ぶ公益法人、認可法人、ファミリー企業、公営企業、公共工事に、わたしたちの税金が「財政投融資」という名前でジャブジャブ使われている。
まるで国を相手にした振り込め詐欺だ。
見返りには天下り受け入れや、族議員への政治献金。(自民党の個人献金額の7割以上が電力9社の役員・OB
昔、塩ジイが言ったようにもはや税金は、「離れですき焼きを食べている」ような人の周りしかぐるぐる回らないようなしくみになってしまってるのだ。

わたしは日本を自由経済の国だとずっと思っていた。
でもどうやらそれは大きな間違いだったらしい。
実際には政官一体の官製計画経済であり、崩壊したソ連と国のしくみは何ら変わらないというのだ。
経済にも疎いわたしは、今までどうしてこうも経済がよくならないのか誰の話を聞いてもわからなかったが、この本を読んで長年の謎が解けた。

今のしくみのままでする公共事業は、単にそこに群がるレギュラーな人たちを潤すだけで、全体の景気が良くなるわけでも雇用が増えるわけでもない。
それに、市場経済じゃないところに市場経済に基づいた小手先の経済政策をしても効果がないのは当然のことだ。
今、選挙前で、政治主導とか脱官僚とか勇ましい言葉を並べている人がいっぱいいるが、特殊法人に触れずしてそれを言うのは自分がその一員か、もしくはまやかしだということもわかった。

ぼんやりニュースを見ていると、郵政や道路公団を民営化すれば効率がよくなって、なんとなく解決するような気がしてしまうが、これも違うらしい。
ただ民営化するだけなら、単に利権が転がり込む民間会社ができるだけ。
税金に巣食う寄生虫を取り除き、税金が一部を還流するだけの「しくみ」を変えない限り、日本はソ連と同じ道を辿ると石井氏は警告している。

f0046622_1432847.jpg棚田の下にある田んぼに水が行き渡らないのは、上の方にあるやたらにデカい田んぼが、川からの水の量が増えようが減ろうがおかまいなく、いつも満々と水を湛えているせいだった。
要はその、やたらにでかい田んぼをなくさないと、未来永劫、水は下には下りてこないということだ。

よくよく考えてみると、毎年、予算のときはあんなにスッタモンダするのに、それらがその後どうなったかという決算については全く触れられないのはなんでだろう?
こんなの普通の企業では考えられないことだ。
まぁ、予算さえブン取ればその年はそれを使い切ることに専念すればいいというしくみ自体もどうかしてるが、こんな組織が効率よく何かをやれるわけがない。
メディアが決算について触れないのは、あまりにめちゃくちゃだから?
だとしたら、かつてのソ連がそうだったように、この国の真実の姿は鉄のカーテンの向こう側にしかないということか。
戦後、経済だけに邁進してきた代償とは、国民の血税に官僚や族議員が血眼になって群がり、ジャーナリズムまでがそれに加担し、原発事故が起こってもなお推進しようとするような、病んだ国になることだったのかと愕然とする。

日本という国を本気で憂えていた石井氏は、志半ばで右翼と称する男に刺殺された。
亡くなった後、遺志を受け継ぐと民主党は言っていたのに、議員会館にあった膨大な資料の入ったダンボールは、ほとんど手つかずのまま遺族の元に返された。
民主党は、特殊法人に本気で取り組む気なんて元々なかったのだ。

今、その誰も手をつけられなかった、あまりに美味し過ぎる利権をアメリカがTPPで狙っている。
このことを肌で感じている石井氏のような国会議員は果たしてどれぐらいいるだろう。


【日本が自滅する日 目次】
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by adukot_u3 | 2012-12-04 23:29 | 書籍
書籍『うさぎとマツコの往復書簡』

「うさぎとマツコの往復書簡3」が出版されるという。(マイナビニュース:「喧嘩上等 うさぎとマツコの往復書簡3」の出版会見
このニュースを見て「うさぎとマツコの往復書簡1」を読んだことを思い出したので書いておく。



ふたりともとても正直でまじめ。
中村うさぎさんの『私という病』という本を読んだときもそう思ったが、やはりそれは間違いではなかった。

ふたりが語る「子供を産み育てないという世の大多数の人とは違った生き方」、「自分のためだけに生きるという状況」に対する虚無感や欠落感にはわたしも激しく同意する。

人は、他人に対しては極めて客観的で批判的なのに、いざ自分のこととなると、一転して極めて都合の良い解釈をし、それがさも他人を批判した時と同じような客観的判断に基づいたものだと思い込む厄介な生き物だ。
でもその無意識な能力が、ある意味人生の救いだったりもするのに、そんなものお見通しのふたりには何の意味もないところが痛々しい。

単なる週刊誌上の対談で、ここまで深く掘り下げ、お互いの煩悩を晒す人たちをわたしは見たことがない。


⇒書籍 『私という病』中村うさぎ
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by adukot_u3 | 2012-11-26 00:43 | 書籍
書籍『戦後史の正体』

外務省国際情報局長、駐イラン大使、防衛大学校教授を歴任した孫崎享(まごさき・うける)氏によって書かれた『戦後史の正体』。
すいぶん前に読み終わっていたが、内容があまりにすご過ぎるのと、学校で勉強した日本の近代史はいったいなんだったんだろう?と激しく脱力して、しばらくは感想なんて書く気になれなかった。

戦後、GHQと渡り合って国益を守ったのは吉田茂氏ということになっている。
わたしたちが常識だと思っている日本の戦後史は、まずここから根本的に間違っている。
ちょっと前にNHKで『負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田茂~』というドラマをやっていたが、こういうのも間違い。
「公用語を英語にしろ、通貨をドルにしろ、裁判権はアメリカが持つ」と言ってきたアメリカ側に対してそれを叩き返したのは、あんまり知られてないが外務大臣の重光葵(しげみつ・まもる)氏だ。
その後、吉田茂氏によって日米安全保障条約が締結されるが、その調印式の場所がなんと、国立公園の下士官用クラブハウスの一室で、しかも署名したのは吉田氏ひとり。
仮にも日米の国際条約が、そんなところでひっそりと調印されるものだろうか?と思うが、されるものなのだ。

敗戦から復興するためには、最初のうちはアメリカに面従腹背も仕方ないという意見もある。
しかし吉田氏は、復興した後も自主路線への変更を選択しなかった。
GHQと渡り合う気骨ある男とされていた人は、実は最も対米従属な首相だったのだ。
第5次まで続いた吉田内閣がそれを証明している。

このように、この本を読むと、今まで当然だと思っていた歴史に対する思い込みや常識がことごとく破壊される。
特に歴代首相に対して「この人は悪そうでどうも好きじゃないなぁ」とか「この人はクリーンだからいいなぁ」などと、なんとなく思っていたイメージは、たぶん180度変わる。
この本の見解が100%正しいわけではないかも知れないが、ちゃんとした外務省の公用文書が証拠なので大きく外れていることはたぶんないだろう。
なにより、ここに書かれていることを踏まえて日本の戦後史を眺めてみると、あまりにピタリと合致することが多くてそうとしか思えないことだらけなのだ。

岸信介氏がA級戦犯から首相にまでなって新安保条約に署名するに至った理由。
田中角栄氏のロッキード事件や、竹下登氏のリクルート事件の真相。
ビックリしたのが「あなたとは違うんです」の福田康夫氏が辞めた意外に男前な理由などなど、今までテレビのニュース解説を見て、「へぇ~」とか「はぁ~」とか思っていた自分が馬鹿らしくなってくる。
日本が今抱える問題のほとんどは、戦後ずっとアメリカの属国であり続けたことが原因だからだ。

この本は、タイトルがタイトルなだけに難しそうに見えるが、”高校生でも読めるように”がコンセプトなので、とてもわかりやすく書かれている。
これをみんなが読んで、いわゆる常識というものがいかにいい加減で当てにならないかを実感すれば、日本は変わるかも…と思ったりもするが、マスメディアの報道があまりにいい加減すぎる。
はたしてこんな状態で選挙に突入して大丈夫なんだろうか?
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by adukot_u3 | 2012-11-14 23:36 | 書籍
日本経済の真実―ある日、この国は破産します/辛坊治郎
中古本があったので読んでみた。アマゾンの書評を見ると、素人にはわかりやすくて、ちょっと経済のわかる人には評判が悪いような感じはする。わたしは経済のことは全くわからないので、内容についてはなんとも言えない。
ただひとつだけ言えるのは、なんだか気分の悪くなる本だったということ。たしかにわかりやすく書かれてはいるけど、なんか馬鹿にされているような感じがするんだな。わかりやすくと思って書いたんだろうけど、それが余計に上から目線を感じさせていることに気づかないような鈍感な人は、とりあえず信用できない。

この人は小泉改革をすごく評価していて、『方向性は間違いではなかったが、セーフティーネットを張っておかなかった点が問題だった』と指摘している。問題だったとか冷静に言ってるけど、セーフティーネットを張らずに、新自由主義的な改革をするということは、シロウトに命綱をつけないで空中ブランコをさせるようなものなんじゃないの?セーフティーネットを張らない時点で、どんな方向性のどんな改革であっても間違ってると思うんだけど。
この部分も読んでいて気分が悪くなったところだ。


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by adukot_u3 | 2011-12-07 08:32 | 書籍
地産地消文化情報誌『能登』
f0046622_210348.jpg地元発の『能登』という季刊紙ができた。というかできていた。
いままで、旅の特集号などの一過性のものには結構載ることはあったものの、季刊とは言え能登だけをターゲットにした本が定期的に出るなんてことは、わたしの記憶の中ではたぶん初めてじゃないかと思う。

今季は時節柄「能登の祭り」をテーマにしていて、特集は「能登のキリコ祭りを重要無形民俗文化財に」というもの。
読んでみると、勇壮な祭りあり、優美な祭りあり、地元出身のわたしも知らないたくさんの祭りがとりあげられていて、とても興味深い。それぞれの地区の祭りを眺めたり、いわれを読んだりしているうちに、コレ、重要無形民俗文化財にしてもぜんぜんおかしくないんじゃん!そう思えてきた。いや、ひいき目じゃなくほんとに。

能登の祭りは地区によって多少の違いはあるものの、「キリコ」という独特な山車の内側に明かりを灯した、あんどんのような形をしている。どうやら京都で流行した風流灯籠というものが、能登では「キリコ」、秋田では「竿灯」、青森では「ねぶた」と伝播したものらしい。
今は裏日本などと言われ、寂れて久しいが、能登にはキリコだけじゃなく、食文化や気質、気風の中に、どう考えてもただの田舎の半島の突端のものじゃないだろうと思うものがよくある。風流灯籠が「キリコ」になったように、やはり北前船での交易が盛んだったころの名残が端々に残っているのだろう。

f0046622_17483221.jpg明治の末、町に電線が張られたせいで、キリコが小型化してしまった地区がある。別の地区では、大きなキリコに配慮し、地下配線によって、今でも昔の大きさを保っている。その小さくなったキリコが、能登町宇出津の「あばれ祭り」で、その後、機動性を増した躯体は、白木に華美な装飾を一切施さず、更にあばれぶりに拍車がかかって行くこととなった。

一方、昔のままの雄大な姿を留めているのが、表紙にもなっている七尾市石崎の「石崎奉燈祭り」だ。白木とは対照的に、こちらは総うるし塗りで金箔使い、武者絵が描かれていたりと、優美かつ豪華。
今まで何も考えずにただボーっと祭りを眺めて来たが、電線の引き方ひとつでキリコの命運が分かれるとは、祭りにも意外と大人の事情があるんだな。今の原発問題ともあいまって、なんとも皮肉なエピソードだ。

しかし、そういう歴史の曲がり角と上手に折り合いをつけて来ないと、何百年もこういう祭りは続けられないだろう。
能登には、ほんの数キロしか離れていなくても、その地区ごとに風俗を反映した独自の祭り文化がある。そしてそれは、その地区の人たちだけのものではなく、旅人だろうが外国人だろうが、一見さんでも誰でも受け入れる。そんな寛容さもちゃんと持ち合わせている。それもまた、交易が盛んだった頃の名残りだろうか…。
そんなことをあらためて考えると、あぁわたしはなんて素敵なところに生まれ育ったんだろうと、今まで考えたこともないような、こっ恥ずかしいことを思ったりする。

今は線路も外され、通過する人もいなくなって、文字通り陸の孤島状態。最近は友達との話題も「地元をどう活性化するか?」だったりするのに、こういう雑誌が出たり、「能登の里海里山」が世界農業遺産に登録されたりすると、嬉しい反面、なんだか不思議な感じがする。
3周遅れでトラックを走っていたら、前の人たちが熱中症でバタバタと倒れて、知らないうちに繰り上げで予選通過。そんな感じだ。
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by adukot_u3 | 2011-08-17 21:00 | 書籍
書籍 『私という病』中村うさぎ
私という病整形しまくり、借金しまくりのホスト狂い。
中村うさぎさんについてはそんな印象しかなかった。
それがとあるテレビ番組で、他の人とのやりとりを見ていたら、ものすごく人の話を真正面からちゃんと受け止めて返していて、なんて真面目で誠実な人なんだろうと思った。
相変わらず内容が下ネタ満載なのでそこに気をとられていると、「どこが?」と思うかも知れないが、とりあえずわたしはそう感じた。
で、本当はどうなの?それを知りたくて本を読んでみた。

選んだのは、デリヘル(デリバリーヘルス)体験を綴った『私という病』。
年はとったけど、まだわたしには女としての性的価値が残っているに違いない。「誰かわたしに欲情して!」そんな魂の叫びとともに、果敢にデリヘルに挑むという話だ。

いやぁ~すごい!
珍しく一気読みしてしまった。
話題になるためには何でもする人なんだなと思っていたが、それは大きな間違いだった。
そこには、少しの虚飾や欺瞞も許さず、自虐的とすら思える潔癖さで、どこまでもどこまでも自分を突き詰めもがき苦しむ彼女がいた。

なんでそこまでするのかなぁ?と思ったが、そのきっかけは、デリバリーヘルス体験記のあと(デリヘル体験記は全体の1/3ほど)に書かれた、若いホストとの切ないほどの恋愛にあった。
年相応の分別あるタニマチを演じていたはずが、ホストから告白(もちろん営業)されたとたん簡単に落ち、深みにはまって行く。
その泥沼の果てに突きつけられたのは、いかに自分は女としての魅力がないかという事実。「誰かわたしに欲情して!」には、そういう理由があったのだ。

デリバリーヘルス体験記自体は、それはそれでたしかにショッキングな内容だが、それよりも、その若いホストに夢中になってしまったことや自身の結婚・離婚、デリヘル経験とはいったいなんだったのかを、冷酷なまでに客観的に分析していく後半の部分の方が、読む方にとってはヘビーだ。

なぜなら、彼女が自分の中の虚飾や欺瞞を指摘するたびに、読んでいるわたしの中の虚飾や欺瞞やナルシシズムなどなど、人から良く思われたいが故にわざと見えない振りをしているイヤな部分が、これでもかと露にされていく気がするからだ。
それがあまりにも図星なので愕然とし、めちゃめちゃテンションが下がる。
でもそのあと、あぁなるほど、これが己の姿かとあらためて感慨深く思う。

ほんとは人からの評価なんて気にしないで生きられれば一番いいんだろうけど、人は人から認められたいという呪縛からは、そう簡単には逃れられそうにない。
それは人によっては肩書きだったり、お金だったりするわけで、彼女の場合は「男性に性的に認められること」がそれに当たる。
だから、それが明確に示され計ることのできる風俗というところに行き着くのは、ある意味自然な流れなのかも知れない。

「どれだけ男性に性的に認められるか」。
人がふだん心の奥深くに隠しているものを、彼女は自分の体からむんずと掴んで引きずり出し、白日のもとにさらす。
やっていることの内容はともかく、徹頭徹尾自分に嘘を許さないのが、この人のすごいところだ。

テレビで「お綺麗ですね」と言われると、彼女は必ず「あぁ整形ですから」と答える。
作り物の美しさで自惚れることを自分に許さない。
わたしが彼女のことを真面目で誠実だと思ったのは、やはり間違いではなかった。
ただ、あまりにも自分の中の欺瞞やら矛盾やらに気づきすぎて分析し過ぎて、疲れてしまわないだろうか?
解説で作家の伏見憲明氏が彼女のことを、『大衆の欲望という原罪を背負った巫女』だと書いていたが、まさにそのとおりだ。

よくよく考えると、この「私という病」は、「女という病」と言い換えてもいいのかも知れない。
ある時期のピークを境に、次第になだらかにデクレッシェンドしていくはずが、いつまでも女としてのフォルテシモを求められ、自分もそれを維持し続けたいと願う。
それは、日本という社会が生み出した風土病でもあると思う。

『私という病』。
できることなら学校指定図書にしたい。
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by adukot_u3 | 2011-03-07 00:29 | 書籍