『愚かで痛ましい我が祖国へ』久邇晃子

『愚かで痛ましい我が祖国へ』(その1)──久邇晃子
『愚かで痛ましい我が祖国へ』(その2)
(宮城県にある法楽寺の住職のブログから引用)

これは、旧皇族で精神科医もある久邇晃子(くに・あきこ)氏が、2011年文藝春秋12月号に寄せた記事だ。
タイトルに”愚かで”と書かれてはいるが、その内容はとても深く、海外生活の長い久邇氏の祖国日本に対する思いが伝わってくる。

日本にはどうしても原子力発電が必要だという主張は、『プラグマティズム(実際に役に立つものにこそ真理があり大切であるという考え方)の装いを被った絶望』だという。
何が何でも経済発展をしなくてはならないから、その目的を達成するために危険な方法であってもしゃにむに遂行するのは一種の病的な強迫行為であり、心理学用語でいうところの『否認』の状態が生じているという。
※否認=心の中にある不利な事実を見ようとしないで正当化すること。

久邇氏はここ二十年の日本をこう分析する。
「国土が絨毯(ジュウタン)爆撃され焦土と化し、原子爆弾を落とされてやっと目が覚める、揺り起こされてみるとあまりにショックが大きくて、脳震盪(ノウシントウ)状態で、後先もわからず自分の立ち位置もわからず、自己の存在基盤を感じることが出来ないため、何らかの強迫行為にしがみつく……。
 自分を好きになれないまま、しゃにむに自己回復の試みに走る。
 深刻な公害に苦しみながら、必死に働き続け、発展を後押しするために原子力発電を導入し……。
 このようにして戦後の新たな戦いを、手段を選ばず必死に続けた結果、輝かしい経済発展を得た。
 が、後先も考えず必死に走り続けて『ゴールのようなもの』を得たと思われたとき、はたと立ち止まって、自分の拠って立つ基盤、アイデンティティーがわからなくなっていること、これからどのように進んで行ったらよいのかわからないことに気付き、その場に立ち尽くす。
 経済の爛熟期と停滞期に心の空白を埋めることが出来ず、耐え難いアポリアに陥っていく……。」
※アポリア=行き詰まり

「あぁ、やっとわたしの苦しみをわかってもらえる人に出会えた…」
行ったことはないけれど、カウンセリングとか心療内科で話しを聴いてもらったときって、きっとこんな気持ちになるんじゃないだろうか。
あ、久邇氏は精神科のお医者さんだから当然か。

そう、戦後の日本は一心不乱に働いて来て豊かにはなったものの、実はアメリカがそう仕向けたレールに乗っかってそうなっただけで、本当の自分というものがない。
思考は硬直化するばかりで、どうしていいのかわからず迷走する。
これは集団自殺願望か?と久邇氏が思うのもムリはない。
住んでるわたしだって、この国の人は死にたいのかと思うことが時々あるぐらいだから。

とはいえ、日本が戦争に敗れて以来、黙々と働きつづけ名誉ある地位を回復したことに、東欧の人たちや、ラテンアメリカの人たち、中近東の人たちは好意を寄せてくれているそうだ。
しかし、日本が万一また失敗し、海や大気などを再び汚染するようなことが起こったら、日本に対する同情は一転して反感に変わるだろうと久邇氏は心を痛めている。

エネルギー問題と原発は全く別問題。
最新の調査では石油はあと200年は持つ(作家・広瀬隆氏談)らしいので、電気は原発がなくても火力と水力で十分足りている。
まず原発をやめて、その間に原子力産業を縮小し(廃炉産業は継続)、代替エネルギー産業を成長させて行けばいいだけの話。

原発は危険。
実はそんなごくシンプルなことなのに、電気がなくなるとか、核兵器として使えるとか、電力会社がつぶれるとか、そうやって他の問題をごちゃ混ぜにするからこんがらがるのだ。

今、代替エネルギー関連の特許は、日本が世界の55%、太陽光発電に至っては68%を占めている。
しかし残念ながらまだあまりお金につながってはいない。
それは多分にやり方がマズいからであって、根拠もなく「実現性が薄い」などと、この状況を嘲笑していると、日本は世界に後れを取り、急速に成長する可能性の高い有望な得意分野での、絶好のチャンスを逃すおそれがある。(「環境技術、日本が10位にも入らない理由」日経ビジネスオンライン

この特許を「宝の持ち腐れ」にしないためにも、代替エネルギーへのシフトが必要だ。
これから経済成長しようとしている発展途上国に原発を輸出するよりも、安全な代替エネルギーのノウハウを輸出する方が、間接的に世界平和や地球温暖化抑制に寄与することにもなる。
憲法9条の精神に近いのは、どう考えてもこっちだろう。
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by adukot_u3 | 2012-12-10 02:46 | 震災・原発
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