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原発を考える前に
行ったことのないところを旅行する時、わたしたちはまず地図でそれがどこにあって、周りはどういうところかを調べる。 それと同じように、原発と正しく向き合うためには、原発がわたしたちの生活のどこに、どのぐらい、どのように関わっているのか?を知る必要がある。 やみくもに神経質になったり、わからないからと、ただの傍観者になるのは、誰かの思うツボ。ズッポリはまらないために、まずそれらを確認してみる。 原発由来の電気はエネルギー全体の 6.5%! 生活するには電気やガスなどのエネルギーが要る。 その原料となるのが石油、石炭、天然ガス、ウランなどの一次エネルギー(ほどんど輸入)。それらを、電気やガソリン、灯油や軽油など、二次エネルギーに変換して、わたしたちは使っている。 二次エネルギー全体の、電気が占める割合は24%。 そのうち原発によって作られているのが27%。 0.24×0.27=0.648≒6.5% 原発によって作られている電気の割合は、なんとエネルギー全体の6.5%。 わたしたちが今、議論しているのは、6.5%のことについてだということをまず認識する必要がある。図で描くとこんな感じ。 ![]() これは、経済産業省資源エネルギー庁エネルギー白書2010というところにちゃんと書いてある。 石油はしばらくくはなくならない 石油はあと2~300年ぐらいは無くならない。とりあえず100年以内に「エネルギー不足」になったりはしない。(エネルギー環境問題研究所代表 石井 彰) 石油がなくなる…と省エネやってるのは日本だけ。(中部大学教授 武田邦彦) 石油が今度どれぐらいもつか?については、「日本エネルギー経済研究所」の『2010 OIL NOW』(PDF)という資料に、2009年末の可採年数は53年となっている。 でも、53年で石油がなくなってThe END!ということではなく、近年の新規油田の発見や油田からの回収率の上昇によって、可採年数は実は年々長くなっている。 ![]() どっかの資料を見て「年々可採年数が増えるなんてあり得ない。いい加減なことばっかり言って信用ならん」と思っていたが、信用ならんのはわたしの方だった。 とりあえず、20年や30年でなくなることはなさそうなので、「石油がなくなるから」とか「CO2削減には原発」とかいう文句に惑わされないように、ここはしっかり押さえておく。 どんな素晴らしいエネルギーも、地球規模である程度使い続けていれば、環境のバランスに影響を及ぼすことはたしか。 それを修正したり、新たなエネルギーを開発したり、その時々に応じたしなやかな対応ができるのがほんとうの強さであって、石油とか自然エネルギーとかは、ただその対応の一形態に過ぎない。 でも生活に密着したエネルギー利権がおいし過ぎるせいで、なかなかしなやかに行かないのが難しいところ。 これからのエネルギー計画 原発の原料のウランは実は、石油に比べて数分の1、石炭の数十分の1と極端に少ない。(小出裕章・京大助教) 原発は、ウランの量が危うくてヤバいのに加えて、 使用済核燃料のプールの空きがあと6年弱しか余裕がない。 六ヶ所村の再処理工場が稼働できなければ、原発は、耐用年数よりも使用済核燃料プールの空き容量で行き詰まる。(自民党 河野太郎) 石油もしばらく無くなる心配はないのに、こんなに危いものなんでやってんの?という感じ。段階的に縮小して、最終的になくすべき。 そしてそれまでに、自然エネルギーや、天然ガス、日本海沖で見つかったメタンハイドレート、尖閣諸島の海底油田(掘削費用が莫大らしいが)など、なるべく中東の石油の値段に翻弄されないような手を考えるべし。 ロスを少なく効率化する 資源のない日本、限られた輸入資源でエネルギーをまかなうには、効率化がかかせない。 (1)エネルギーの変換効率を上げる 一次エネルギーから二次エネルギーへこ変換する時に、30%ほどのロスがある。 ここを小さくすれば、そのぶんエネルギーの量が増えるのとおなじこと。 ![]() (2)送電の効率を良くする 「電気を直流で送ると、今の交流よりも効率が50倍良くなって、さらに電線を30%太くすると1万キロ先へ送ることが出来る。長距離送電ができると、消費電力が少ない夜の国から昼の国へ送ったりという、地球規模の電気のやりくりもできるようになる」(工学者・東北大学名誉教授 西澤潤一) 国から国へなんて壮大なものじゃなくても、太陽エネルギーの電気をお天気のいいところから雨の地域に持って来ることができたら・・・。 「もんじゅ君」じゃなくて、こういう研究にこそお金を使って欲しいんだけど。 (3)効率よく使う 「コ・ジェネレーションシステム」は、発電ついでに出た熱も使うしくみで、大きなビルや工場のそばで発電すれば、電気も使えて、ついでに冷暖房もできて一石二鳥。 というわけで『原発をちゃんと考えてみる』は、ここまで。 わたしの原発に対しての考えを、いろいろ調べながらまとめたメモ書きのようなものなので、あとから書き加えたり書き換えたりもします。 ───────────────────────────────────────────────── 原発ついでに・・・ CO2問題 原発とCO2問題は別問題。「CO2を減らすために原発」はウソ。 京都議定書で「CO2減らしましょう」と言われているが、「減らすと経済が…」原発とおんなじメビウスの輪をぐるぐる回っているこのCO2問題。 これも原発とおなじく、内訳を見てみるとわかる。 ![]() 二次エネルギー消費は、『産業』、『民生』、『運輸』の3つに分かれて集計されている。 『民生部門』が31.4%、その中の41%が『家庭部門』、またその中の50%弱が『電気』。 0.314×0.41×0.5=0.06437≒6.4% つまり、家庭でどんなに節電しても、MAX6.4%だということ。 電気を全然使わないわけにはいかないので、その%はもっと下がる。 消費エネルギー全体の節約という視点から考えると、家庭でシャカリキに節電しても、たかが知れてるのだ。 それよりも、その他9割近くを占める、運輸・産業部門の節電をまず考えるべき。 家庭ではライフスタイルをなるべくエコにしたり、待機電力を減らすなど無理のない節電をすればいいと思う。節電対策を積極的に実行している企業を応援するなど、間接的な節電もある。 CO2問題は科学で解決 CO2を減らすと経済活動に影響があるから、なかなか減らせない。 ノーベル化学賞の根岸教授は、「地球温暖化を防ぐために、人類の営みの副産物であるCO2を減らすのはばかげている。水とCO2から炭水化物や酸素をつくるような発想の転換が必要だ」と、人工光合成のプロジェクトを立ち上げてもいる。 たしかにその通り! 本当の科学ってこういうことを言うんだな。 ───────────────────────────────────────────────── あとがき・・・ 3.11以降、原発について自分なりに調べてみてわかったこと。 (1)政府、官僚、テレビ、大手の新聞はあてにならない (2)学者には信用できる人と、知識があるだけタチが悪いのと2種類いる (3)海外メディアを含めたいろんな情報をとりこんで、考える必要がある (4)自分の身は自分で守る。賢くなることはその一歩。 以上
16歳で単身フィンランドに渡り、現在はオウル大学で学ぶ高橋絵里香さんによる、フィンランドという国と教育について書かれた日記「フィンランドに学んで」。
フィンランドの高校に入学して、最初に驚いたのは、どこの高校も単位制だということだった。それぞれの生徒が好きなコースを自由に選択して、自分の時間割を作るので、各生徒の登下校の時間も異なる。そのため、「クラス」という集団の枠が高校にはない。クラスが存在しないので、その替わりに生徒一人ひとりが学校生活の単位になる。ここで大切にされているのは、自分自身がどうしたいか、ということ。左右を見て他人の歩幅に自分を合わせる必要などなく、自分の意思に従って好きなだけ前進すればいいのだ。 こんなところに16歳の時のわたしが行ってたら、どうしていいかわからずに固まってしまいそうだ。でも、慣れたらきっと個性全開で楽しいだろうなぁと思う。 わたしにもこんな勇気があったら、もっと早くに今の性格になっていたはずだ。 日本の教育は、こうしなさいとか、こうあるべきとか、空気を読めとか、あまりに窮屈すぎる。 だからお上は想定外の事態が起こると、てんで役に立たないんだな。 これを読んでいて、以前見た100,000年後の安全というドキュメンタリーに出て来た、使用済核燃料を地下に永久貯蔵する巨大施設がフィンランドにあるのも、なんかわかるような気がした。
忘れていた。
3月3日に人類学者で宗教学者の中沢新一さんの講演会『「日本の大転換」を実現するために、いま必要なこと。』に行って来たんだった。 思い起こせば約8年前。 なにげなく行った、あの通販生活の『カタログハウス』本社のセミナールームで初めて聴いた講演は衝撃だった。 昔からずっと、世の中のいろんなしくみについて、 「あれ?これっておかしくない?」 と思ってはいたものの、 「いやいやそれで世の中流れてるし…周りでそんなこと言ってる人いないし…」 おかしいと思うわたしがおかしいのか?と思って、ポストイットを貼ったまま心の奥の外付けHDにしまい込んでいたモロモロのことが、一瞬にしてつながった瞬間だった。 モロモロとは、世の中のしくみ全てが経済右肩上がりを前提にしてしか組んでないのはどうなのよ?とか、日本はあんなにお金持ちだったのに急にこんなに貧乏になるのはどう考えてもおかしい!とか、女性が結婚や出産をすると、仕事を辞めるように仕向けるのは、社会のお宝の半分をみすみす手放すことになるんじゃないの?みたいなこと。 わたしがおかしいと思ってたことは間違いじゃなかったんだ…。 体の中をビリビリッと電気が走ったかのようだった。 はっ!これを書き留めなくては・・・。 あわてて会場でもらった紙の裏にびっしりとメモを書いたことを思い出す。 今ならブログに書きまくるところだが、残念なことにその時はまだ書きはじめていなかった。 そのときのメモを、後日ワードでまとめたのがコレだ。 ![]() でも、この人は頭も良くて、こんなにいろんなことがわかってるなら、もっと世の中のいろんなところに働きかけてくれたらいいのに。 ある一定の知的レベルの人しか手にとらない本の中だけじゃなく、出来ればもっと目に見えるような行動を起こして、ビリビリ光線を、たくさんの人に対して発して欲しい。 そう願いつつも、たぶん無理だなと半ば諦めてもいた。 そしたらあるとき、『ミツバチの羽音と地球の回転』というドキュメンタリーを撮った監督、鎌仲ひとみさんのトークショーのゲストとして中沢氏が登場したのだ。 おや?もしかしたら何かしら行動を起こすのかな?と思ったが、何の動きもないので、やっぱりダメかと思っていたら…。 その数日後に東日本大震災と福島原発事故が起こり、約1年後の今年の初め、中沢氏はネットワーク「グリーン・アクティブ」の立ち上げを発表した。 発起人に社会学者の宮台真司さん、クリエーターのいとうせいこうさん、クリエイティブ・ディレクターのマエキタミヤコさん。 賛同者は思想家の内田樹さん、歌手の加藤登紀子さん、音楽プロデューサー小林武史さん、政治団体一水会代表の鈴木邦男さん…など。 「脱原発したい!とか、経済格差なんとかしたい!などのネットの中の声を、現実の世界に引き出し、政治や社会や文化を変える力に作り替える活動をする組織」なのだそうだ。 政党か?と思ったらそうではなく、中身は4つに分かれていてこんな感じ。 (1)「構想部」…思想的な部分をやる[中沢新一、宮台真司] (2)「メディア部」…デモやTwitter、Facebookなど草の根メディアや雑誌の発刊[いとうせいこう、鈴木耕、鈴木幸一、津田大介] (3)「経済部」…農林水産業など日本経済の根っこの部分の再生[中沢新一、加藤登紀子、小林武史] (4)「政治部」…日本の議会制政治にも影響を及ぼす日本独自のエコロジー政党[マエキタミヤコ]→「緑の日本」として政治団体登録済。 自立性をもった一つ一つの活動体が、自立性を保ったまま、大きな環に結ばれていくことを、グリーンアクティブは目指す。(中沢) つまりこれはゆるやかな国民戦線です。 (いとう) 日本が知識社会に生まれ変われば、官界や財界の既得権益のせいで「一億総ゆでがえる」状態となるのを抑止できるだろう。(宮台) ここにいる私たちは100年後確実にこの世にいません。でも100年後の日本の自然が豊かであるために今、全力を尽くしたいと思います。(マエキタ) 今後、この「グリーン・アクティブ」がどういう動きをするのかはわからないが、今までどの政党も言わなかったことを言っている。目指すは民度上昇! オマエたちが賢くならなければ、もうアトがないということなのだ。 というわけで3月3日の中沢氏の講演会だが、期待満々で行き過ぎて、途中で力尽きてウトウトしてしまった(^^; でも、『日本の大転換』が必要なことはよくわかった。 そしてそれが、自分自身の大転換であることも。
連休中に大きなバス事故があった。
どんな原因が潜んでいるのかとしばらく待ってみたが、単なる人災だった。 とは言え、上のバス会社から押し付けられた値段が安くて、人件費にまで手が回らないという事情もあるらしいので、選ぶ私たち側にも問題が全くないわけではない。 今回の事故で、乗り物に乗るということは、それを整備した人や運転する人に命を託すことなんだと改めて実感した。 よく利用する身としてはとても不安なので、なにか指針となるものがないか調べてみたら、平成23年度よりスタートした貸切バス安全性評価認定制度というものがあった。 安全性が☆によって示される、言ってみればバスのミシュランみたいなものか。 しくみはこんな感じ。 ![]() で、事故を起こしたり悪質な違反をすると取り消しになり、 しばらくは次の申請もできない。 ![]() 乗る方としては、☆が安全性の目安になるのでとてもありがたい。 美味しさのような主観的なものじゃないので、ミシュランよりいいかも。 ただし、発足したばかりの制度なので、現時点ではMAXで☆ひとつ。 順調に行けば、再来年で☆☆☆のバスが誕生することとなる。 わたしがいつも利用している地元のバス業者、丸一観光には☆がついていた。 予約の際にちょっとしたメッセージを付記すると、必ず迅速に適切な返事が返って来るので、たぶんちゃんとした会社だろうとは思っていた。 こういうことは、この制度とは関係ないだろうが、メールも安全も目配り気配りだ。 どこかでつながっていると思う。 この貸切バス安全評価認定制度にパスしたバスには、こういうシールがついている。
最近、東京ではとんと放射能の話題が聞かれなくなった。あぁみんな忘れてしまったんだなぁ。 飛び散った放射性物質の半減期は、長い長い年月だし、除染はただ場所が移るだけで、無くなるわけではないのに・・・と思っていたら、近所のスーパーで、”お客様のご要望により、西日本の牛乳を品揃えいたしました”というこんな張り紙とともに「淡路島牛乳」が。 良かった。 忘れてない人がちゃんといたんだ。 そして、それに応えるスーパーもえらい。 188円→228円だったけど。 数十円だけど、毎日の家庭にはけっこう痛いか。 でも、安全には代えられない。 草をたくさん食べる牛から出る牛乳は、そのぶん濃縮されてるし。 最近、牛乳を飲んでなかったのでためしに買ってみた。 せっかくなので、とっておきの紅茶でミルクティーを入れてみたら、めちゃめちゃ美味しかった。 数年前から少子化対策とかなんとか、やかましく言ってるけど、こんなにも子供を大切にしない国が、少子化対策なんてちゃんちゃらおかしい。 女性は子供を大事にしてくれない環境では産まないものだ。 急激な少子化は、女性の社会進出のせいだとか言ってるけど、いざというとき子供を守ってくれなそうな雰囲気を、女性の第六感で感じとったんじゃないかと、なんとなく思う。 牛乳ついでにしらべたら、こんなマメなことをしている人がいた。 牛乳の放射能汚染 まとめ と思ったら、牛乳を作ってるメーカーは、どこも検査してなかった。 【牛乳各社の産地と放射能検査の現状】
連休中、久々に実家でテレビを見た。
高速バスの事故のこと、塩谷瞬が二股かけてたこと、原発のこと。 いろんなことが報じられていたが、あらためてビックリしたのがとにかくうるさいこと。 民放のニュースショーの場合は、どれもこれも喋りのバックにBGMや効果音が使われていて、とにかく音が途切れることがない。 内容よりも、まず、テレビってこんなにうるさかったっけ?というのが久々に見たテレビの感想だ。 昔々、よくパチンコに行っていた時期があった。 我ながら、よくもまぁあんなうるさくて空気の悪いところに日がな一日居られたもんだと思うが、今はなぜかパチンコ屋の前を通ってドアが開いただけで、うるさくて耐えられない。それとおんなじ感じ。 1年前までこんなものを毎日毎日見ていたなんて、信じられない。 今じゃ落ち着いて見られるのはNHK教育か、NHK総合ぐらいだ。 ただし、時代劇専門チャンネルでやっていた、昔の時代劇はよかった。 役者が美しいこと、そして殺陣がかっこいいのにびっくりした。 亡くなった山城新伍氏が、今の時代劇をさんざんこきおろしていたが、なるほど気持ちはわからなくもないと思った。 最近、京都大学の小出助教の原発に対するコメントが少々トーンダウンしているような気がする。 「こんな事故を目の当たりにしながらも、多くの人たちは停電になったら困るから原発は必要だと今でも言っている。それを聞くともう勝手にしてくれと実は思ってしまう。本当に情けない国民」 と言っている。 テレビに出始めのころの小出さんは、 「ああこれで、たくさんの人々に真実を伝えることができて、反原発運動が広がって行くに違いない」 という希望にあふれて見えた。 しかし、テレビに出たり講演したり本を出したりもしたのに、原発は再稼動されようとしている。 「いったい今まで自分がしてきたことは、なんだったんだろう…」 きっとそう思っているんだろう。 小出さんの落胆が半端じゃないことは、「本当に情けない国民」という、珍しくきつい言葉で容易にわかる。 よくよく考えてみると、テレビというものは、大企業の宣伝費で運営されている。 そりゃお得意さんの機嫌を損ねるようなニュースなんて流すわけがないし、必要なら事実を捻じ曲げた報道だってするだろう。 小出さんを取り上げているのも、ネットの中で話題になっているから。 推進派が多くなればそっちを推し、反対派が多くなればそっちを推すだけのこと。 そこにはべつに主張とかはない。 ジャーナリズムたるもの、それじゃ困るんだけど、なぜか日本の報道はそうなっている。 「赤信号みんなで渡ればこわくない」を地で行く感じ。 わたしたちは、膨大な情報を得られるようにはなったが、日本語で報道している限り、ごくごく一部を除いては、ニュースソースの出所は同じで横ならび。 スーパーで買ったパックの魚みたいなものだ。 ほんとにイキの良さを売りにするなら、直接買い付けてくれよと思う。 でも、いつも古い魚ばっかり食べてる人たちは、舌が慣れてしまってるのか、たまに気概のあるジャーナリストがピチピチした魚を現地で買い付けて来ても、それを美味しいと思えなくなってしまっているという、非常に残念なことになっている。 評論家の大宅壮一氏がかつて「一億総白痴化」と言っていたが、その意味が最近やっとわかってきた。 正しいわけでもなく、見識があるわけでもなく、ネタはまた聞き、話し方だけは芝居がかっていて妙に上手。 そんな人の話を長々聞くのは、どう考えても時間のムダだ。 やはり、国内外を含めいろんな本を読み、自分で調べ、考え、実践し、失敗したり成功したりすることでしか頭の中は成長しないんだな。 テレビが全部悪いわけではもちろんない。けっこう面白い番組もある。 でも、生まれたときから憲法も人権も用意され、平和の意味すら考える習慣もないままここまで来てしまったわたしたちは、順番を間違えた。 小学校のときにうるさく言われたように、テレビは宿題をやってから見るものなのに、後回しにし過ぎて、宿題があったことすら忘れている。 日本はなんとも不思議な国になってしまった。 そんなことを考えながらテレビを見ていると、日本人は、人間というよりも、優れた「消費者」として育まれてきたんだなぁと思う。 以前の日記で「リアルタイムで情報をだらだら取り込んでばっかりいるとバカになる」と書いたが、のべつまくなしテレビを見続けるのは、これに近いことのように思える。 なんでそんなにテレビを見るんだろうか? わたしの理由は単純。 「世の中の話題について行くため」だった。 今なら、そんな話題に付いて行こうなんて思わないし、逆に時間の無駄。 でも、学生のころは意外と気弱で、とてもそんなふうには思えなかった。 突き詰めると、周りと合わせないことで孤独になるのが怖かったんだと思う。 めちゃめちゃいじめられていた同級生に対しても、傍観することしかできなかったことを未だに後悔してるし。 単純に勇気がなかっただけだけど。(いじめについて思う) たいがいの日本人は人と違うことや、孤独をとても恐れている。どうしてなんだろう?と思っていたら、山本七平氏の「日本人の人生観」という本の中に 『日本では稲作の適作期が年に1度なので、気候や環境の変化に対して、非常に的確に対応しないとできない。自然の秩序に従っていれば社会も個人も安全であり、無事に世を渡っていくことができた。 これは、我々が長い間、すべてのことを考える場合に絶対的な前提としなければならなかった条件だ』 という記述があった。 むむむ、昔の日本人は、みんなと違うことをすると飢え死にしたのか・・・。 食いっぱぐれる危険が少なくなった今も、そういう気質が連綿と受け継がれていて、あのような大事故が起こってもなお、正しいか否かというコトの本質よりも、今の状況を大きく変えないことを選択してしまうのが日本人だとすれば、病巣は想像以上に根深い。 連休明け、神戸での仕事帰り、京都に少しだけ降り立ち、勧修寺(かじゅうじ)というお寺に行った。荷物が重くて体力を消耗していたので、まっすぐ帰ろうと思っていたが、せっかく関西に来たんだから京都でお茶ぐらい飲んで行こうと降りたところ、少しだけ回復したので、なるべく駅から近くて、そんなに広くもなく、人もあんまりいなさそうで、歩かなくて済むところなら…とここを選んだ。 京都駅から1駅の山科駅から地下鉄に乗り換えて3つ目の小野という駅から徒歩約5分。 皇室と藤原氏にゆかりの深いお寺らしいが、そういえば以前行った泉涌寺(せんにゅうじ)も御寺(みてら)と呼ばれるほど皇室との関わりの深いお寺だったな。 こじんまりとした感じは泉涌寺とちょっと似てるけど、それよりも野趣を残して整えられた感じのお庭だった。 わたしはべつに歴女でもないので、こういう謂れがあるからこのお寺に行くとかいうのではない。ただ、人の少ない美しいお庭をのんびりと眺めたいだけだ。 ただし、なぜか名前にこだわる。 字ズラが美しく、ちょっと読みにくかったりするのが好み。 ![]() 入ってすぐのところにある、立派なもみじ。 ![]() 通路にはこういう、かわいい丸い石が置かれてる。 ![]() こういう看板があると、行かずにはいられない。 その危険とはどういうものなのか?が知りたくてたまらないのだ。 ![]() 危険とはこういうことだった。たしかに危険。 でも、危険だからと単純に通行止めにするんじゃなくて、行く行かないをこちらに任せてくれるところが、いたく気に入った。 ![]() 「大いに危険」の先の道も、実はきちんと掃かれている。 ![]() 駅の花ごよみでは、藤が満開となっていたから期待して行ったのに、すっかり散ってしまっていた。その代わり、かきつばたがきれいだった。ちなみに藤の花は、甘くて爽やかでとてもいい香りがする。 ![]() ここは、京都一水鳥が多いと言われているらしい。琵琶湖から毎日通勤しているとか。 この子たちはまだ小さいので、ガーガーうるさくてかわいい。 ![]() スッキリとして美しい観音堂。 手前には芝生が敷き詰められていて「芝生にお入りください」という表示が。入らないで下さいはよくあるが、入ってくださいって・・・(笑)またまたいたく気に入る。 ちょっとしたことだが、「大いに危険」とともに、ここのお寺の人の考え方がよくわかる看板だ。 駅から近いということは便利な反面、弊害もある。 お寺の周りは基本的には静かな住宅街だが、庭園に隣接して名神高速が通っていて、そこから降りてくる車がひっきいりなしに行き来するので、少々慌しくてうるさい。ちょっと排気ガスくさくもある。 あと1ブロック、道路をズラすとかできなかったんだろうか? このお寺は、そんなところにあるエアポケットみたいな感じだ。 山科というところには初めて来たが、駅の北側には天智天皇陵がある。 天智天皇は大化の改新をやった人。645年だ。 そんな昔の物語がごく普通に街中にあったり、和歌に”・・・山科の里”とか、たくさん詠まれてたりすると、わかりきってはいるけど、京都というところはホントに歴史のあるところだなぁと、あらためて思ってしまう。 たまたま近くにいらした老人グループの方々の話しを聞くとはなしに聞いていると、 「最近はネットがあるから、こういう地味なお寺にもけっこう人が来るようになった。それ自体は悪いことではないが、そうやって来る人は往々にして、たいして興味もないがとりあえずの暇つぶしに来ることが多いので、マナーのレベルも低い」ということを嘆いていらっしゃった。 そのとおり。 わたしもそのひとりではあるので、せめてマナーだけばちゃんとしようと肝に命じておく。
連休は実家の能登半島で過ごした。
この時期、山々は一斉にうすいグリーンのグラデーションに包まれる。 この美しさだけは、ほんとうに言葉では言い表せない。 こんな美しい山があり、美味しい魚のとれる海があり、人情があり。 しかし、わたしはいったんここを「捨てた」。 どんなに素敵なところでも、そう思える心の余裕があればこそだ。 ![]() ![]() 半島真ん中あたりの田舎で。畑の草焼き→ ![]() ←ふき ![]() ←菖蒲畑のおたまじゃくし。でかい。 ![]() 朝イチの水揚げ→ ![]() 船のイカリのような形をしたイカリソウ→ ![]() ←こでまり。咲いたばかりなのでまだ緑色。 ![]() ←珠洲「大谷川の鯉のぼりフェスティバル」要らなくなった鯉のぼりを寄進するので、年々規模が大きくなっている ![]() →能登半島最先端、狼煙(のろし)の灯台。いまだ現役。 ![]() 灯台のなか。警備のおにいさんに「登るのは3歳のとき以来です」と言ったら「20年前ですね?」と言われ、一同大爆笑!→ ![]() ←灯台より日本海をのぞむ ![]() ←そこらの畑に生えてるよもぎだけを使った自家製草餅。もちろん美味しい。 ドイツのハーマン・ニャー社製のハリケーンランタンを買った。ずーーーーーっと前から欲しかったやつ。 キャンプに行くわけでもないし、そんなにしょっちゅう使うわけでもないし、災害に備えるなら長持ちするLEDの方がいいかも知れないし・・・ 考え出してから、なんやかんやで丸1年経った。 1年も経つと、だいたいのものは、そんなに欲しくなくなる。 でもこれは、ぜんぜん欲しくなくならないので、やっぱり買った。3,800円。 この灯りの中で飲むコーヒーが超おいしい。 ニャー社って名前もまたかわいんだな。アウトドア派の人の間では、通称「ニャー」と呼ばれてるらしい。 猫とは関係ないけど。 父が生きていたときには、家に似た感じのランプがいくつかあったような気がするけど、そのときは全くなんとも思わなかった。 あのランプたちはどこへ行ったんだろう。 自身も被曝者でありながら、軍医として被爆者治療にあたり、早くから内部・低線量被曝の危険性と核兵器廃絶を訴え続けてきた医師、肥田舜太郎さん。95歳。若い!この肥田医師を描いた、フランス人のマーク・プティジャン監督の『核の傷:肥田舜太郎医師と内部被曝』というドキュメンタリーと、鎌仲ひとみ監督のトークショーがセットになった催しがあったので行ってきた。 鎌仲監督は、『六ヶ所村ラプソディー』や『ヒバクシャ 世界の終わりに』などの作品を撮られた方で、わたしが震災前に偶然見た『ミツバチの羽音と地球の回転』というドキュメンタリーではこのたび、映画鑑賞団体全国連絡会議監督賞を受賞されている。 今まで科学的根拠がなく、なんとも言えないとされてきた低線量被曝の被害。 でもそれは確実にあって、しかもちゃんとしたデータまであった。 単に都合が悪いから今まで隠されてきただけの話だった。 原発事故以来、遅まきながらも自分なりに情報を集め、ない頭をひねって考えて来たおぼろげなことが、この映画のお陰で多少はハッキリしたので、映画の内容+他からの情報を入れつつまとめてみた。 (1)実験開始 1945年8月6日午前8時15分、広島に原爆が投下される。 8時15分というのは、ターゲットが広島に決まってから、アメリカ軍が上空からじーっと何日も街を観察した結果、一日のうちで最もたくさんの人が外に出ているということで決めた時間だった。 その数日間、広島の人たちは、じっと空から凝視されつつ、元気に仕事をしたり勉強したりしていたのかと思うと・・・ほんとうにいたたまれない気持ちになる。 (2)傷害の調査 投下直後に、原爆傷害調査委員会(ABCC)がアメリカによって設置される。 目的はその名のとおり、原爆が人体に及ぼした傷害を調査記録するためで、治療は一切しない。 やることと言えば、被害者に日付のついたプラカードを持たせて患部の写真を撮ることと、死体を解剖して、調査のために薬に漬けて保存しておくこと。 ここでの調査結果が後々、放射線の影響度を測る尺度の「もと」となっていく。 これらの事実を眺めると、原爆は人体実験以外のなにものでもなかったことがわかる。 肥田医師は当時、ABCCが治療もするように国や軍と交渉しているが、当然却下されている。 (3)情報の隠蔽 さて次の仕事は、人体実験をしたという事実と、その被害の隠蔽だ。 マッカーサーは 「広島・長崎の原爆被害の内容については米軍の軍事機密だから、一切書いたり話したりするな。違反者は重罪に処す」 と 後々証拠が残らないように口頭で発表している。 被曝で生活が成り立たなくなった人たちには、お金で口止めし、徹底的に隠蔽した。 マンハッタン計画の副責任者ファーレルは、 「原爆では死ぬべき者はもうみんな死んでしまい、現時点では病気で苦しんでいる者は誰もいない」 という公式発表を世界中に流した。 外部被曝は認めざるを得ないが、内部被曝はないというスタンスはたぶんここからだ。 内部被曝を認めない理由は 1.核兵器を作れなくなるから 2.賠償でお金が要るから この2点。結局はお金。 (4)研究に対する圧力 一般人に対しては情報を遮断すればいいが、研究者にはそうはいかない。 そこで、ABCCが認める以外の研究はさせないことにした。 逆らえば大学に居られなくなり、研究費も下りなくする。 だから正しくは、「低線量被曝は医学的に証明されてないから認められない」のではなく、 「実は証明されているが、日本人にバレちゃまずいから自前では研究させずに、アメリカに有利に細工したものさしを使わされていた」ということ。 日本が低線量被曝を学問的に証明するには、被曝と症例との関連性を統計学的に証明したり、ガンが放射線の影響であることを実験で証明する必要がある。 その研究自体を認められていなかった日本に、それができないのは当然だ。 (5)低線量被曝被害はある ![]() 軍医だった肥田医師は、その臨床経験から、直接被曝していなくても症状が現れることはわかっていた。
それの原因が低線量被曝にあることを、ウェスティングハウス社の元・研究員だったスターングラス博士の著書『Low-Level Radiation(低レベル放射能)』によって知る。 博士は、原発は平時でも放射能が漏れていて、その地域の癌の発症率が高いというデータも挙げている。 ウェスティングハウス社とは、アメリカの原発製造会社で、政府の原子力潜水艦の開発計画を請け負っていた。 ウエスティングハウスに競り負け、開発費用がパーになり大損したGEのためにアメリカ政府は、GE製の沸騰水型の原子炉を、敗戦国だった日本、西ドイツ、スウェーデンに高額で押し付けた。 日本に原発が来たのは、平和利用でも環境目的でも石油危機でもなく、単なる押し付けだった。 (元公安調査庁第二部長・菅沼光弘氏) (6)お手盛りな基準 放射線については「これ以上はNG」という国際的な基準が定められていて、それ以内には抑えられている。
しかし、この基準は25年前に作られて以来、6回改変され、そのたびに緩くなっている。 いま福島では、普通の生活を送れる基準は3.8μSv/h未満ということになっている。 鎌仲ひとみ監督が取材でイラクを訪れたとき、劣化ウラン弾が使われた地域で線量を測ったところ、なんと3.8μSv/hだったという。 いまのところ、低線量被曝地域では、ガンの発症率にさほどの上昇は見られないとされているが、 1.なんでもない場所のガンの発症率 2.ホットスポットでのガンの発症率 これを比べないと意味がないのに、1と2をごっちゃにして調査をし、発症率を薄めている。(鎌仲ひとみ監督) (7)核兵器被害の現状 核兵器は「つくる」段階から多くの被曝者を生み出す。 原料のウラン鉱山のある国、核兵器を作る工場のある国、核兵器を落とされた国、ただ持ってるだけの国。 今でも世界中で毎日のように被爆者が生み出され、その数は世界で1000万人を超えるのが現実だ。 アメリカ最大のプルトニウム製造工場があったカリフォルニア州ハンフォードではかつて、放射性ヨウ素131を大きな風船に入れて、上空でばらまく実験まで行われていた。 「死の1マイル」と呼ばれる約1.6キロ四方では、一家全員がガンだったり、奇形児が生まれたりしていて、28家族のほとんどの女性に甲状腺障害があり、流産を経験している。 政府は実験の事実は認めたものの、微量なので影響はないとしている。 (鎌仲ひとみ監督) どこかの国の対応とまるでおんなじだ。 ───────────────────────────────────────────────────── 映画についてはここまで。 でも、わたしの中にはまだ疑問があった。 実は、ずいぶん前に長崎大学から無料でもらえるこういう資料を取り寄せていた ↓ ●『リスク認知とリスクコミュニケーション』●日本財団の『笹川チェルノブイリ医療協力事業を振り返って』(PDFファイル・ダウンロード可) 前者は、放射線研究者がまとめたもので「みなさん怖がりすぎ。放射線はそれほど怖くないんですよ」と言っていて、 後者は、笹川財団がチェルノブイリの事故後、ソ連に広島・長崎の医療部隊を派遣し、のべ20万人を検診した結果をまとめたもので、「住民20万人を10年以上調べましたが、亡くなる人は最初の半年で、あとはなんともないんですよ」と言っている。 いくら意見が分かれるとは言え、これはちょっとヒド過ぎると思っていたところ、長崎大学の協力機関には財団法人 放射線影響研究所というところがあって、なんとそれは元ABCCだということがわかった。やっと腑に落ちた。 そしてダメ押し。 この放射線影響研究所の前理事長であり長崎大学名誉教授の長瀧重信氏は、2011年4月14日の朝日新聞でこう書いている。 「チェルノブイリで子供の甲状腺がんが増加したが、それ以外には、セシウムで高度に汚染された地域の住民も含めて、放射線による病気の増加はまったく認められていない。 現在の最大の問題は放射線に被曝したという精神的影響(PTSD=心的外傷後ストレス障害)だ」 放射線のリスクがいかに低いかを説明するために、車やタバコのリスクと比較されたこういう資料をよく見かける。 それを見るたびにわたしは、いつも違和感を感じている。 車やタバコがいかにリスクが高くても、それは納得の上でやってること。 事故ったからと言ってトヨタを訴えるわけでもないし、肺ガンになったからと言ってJTを訴えるわけでもない。 外科手術、食品添加物、お酒、農薬、飛行機、登山、金融商品・・・それらがハイリスクであれローリスクであれ、最終的には自分の意思で選ぶ。 でも放射線は、自然界にあるものはともかく、選んだわけでもないのに原爆や原発や劣化ウラン弾とともに勝手にやって来て、空気中や海に撒き散らされる。それとこれとを並列に比べられても・・・。 ましてや、安全だと言いながら実はかなりなハイリスクなんだから、まったくお話にならない。 ───────────────────────────────────────────────────── 放射線影響研究所は、ABCCの単なる手下かと思っていたら、こんな論文を出していた。 Studies of the Mortality of Atomic Bomb Survivors, Report 14, 1950–2003: An Overview of Cancer and Noncancer Diseases ●「これ以下なら安全」という「閾値(しきいち)」はない ●低線量被爆であっても、「被曝量と病気の発生」には比例関係がある ●福島の小学生が被爆した、20ミリシーベルトで子供がガンになる可能性は100人に2人程度と、かなり高くなる ということを言っているらしい。 この、政府にたいそう都合の悪い論文のことは、当然ながらほとんど報道されていない。 そして、あろうことか、「厚生労働省における東日本大震災の対応状況」という紙によって、宮城県の一部と福島県の全域では患者調査を行わないという通達がされていた。 (PDF)
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